自分らしく生きること








以前、電車内で目の前の人が落とし物をした

その人が電車を出るときだった

サッと拾って追いかければ渡せる

思ったけどやらなかった

周りの誰もやろうとしなかった

周りに見られる自分が恥ずかしかったから私もやらなかった

自分が恥ずかしくなりたくない思いを優先してしまった




車内に残る小物入れ

周りの皆誰もがさっきの人の落とし物だとわかってる

でも誰もなにもしない

見えてないかのようにしらんぷり

次にその場所に来た人も小物入れを端に寄せてしまった

今頃落とし主はこまっているだろう

落とし主だけ知らない

私たちはある場所を知っている

悶々とした

なぜあのとき拾わなかったのか

視界に入っている

後味が悪い















今まさに同じことが起こった

隣の人が立ち上がって目の前に物を落とした

キーホルダー?

わからないけど拾った

隣の人はいつの間にかドアを出ようとしている

私は落とし主の肩を叩いた

間に人がいるにも関わらず

「これちがいますか?」

落としましたよ、って言えば良かったのに

なんでこの言葉にしたんだ私

「え、あ、どうも!」

落とし主も自分のものだと気づいたらしい

渡せた、良かった

すぐ席に戻る

目の前の女子高生2人が

“なに落としたんだろねー”など

落とし物の話をしていた

見ていたのね

見られていたんだ






以前の私ならここで恥ずかしくなっていただろう

間に合うように渡すことだけを考えて

バタバタした足取り

人がいたにもかかわらず手を伸ばし

微妙な声のかけかた

周りの人はなにも動じない

私だけいそいでいた瞬間

自分だけみんなと違うことをしていた時間






今の私は

渡せて良かった、ホッとした

それだけ思った

物だけが目の前にある悶々とした時間を

なくすことができた

これだけのことなのに自分が誇らしかった

やろうと思っていてしなかったことができた

それだけのことなのに