チネイザン体験の裏側


チネイザン施術中

押すと痛い。すごく痛い。

すずさんが言う。

「ここは…不安とか心配のところですね」











不安

心配




あぁ





他界した祖父のことだ








スッと頭にでてきた。

ハッキリとわかった。

祖父のことだ。








と、同時にツーと涙が流れてきた。





3年も前に他界し、

一緒に住んでいた5年間毎日溜まっていた不安と心配。

まだ残っていた。

それも知っていた。

3年経っても未だに泣くときがあるからだ。

定期的に思い出しては泣いていた。

まだ外に出きれていなかった。

あれだけ泣いたのに。






また泣くのか私。








短大生のときに

弟が自分の部屋が欲しいと言うから、

通学が格段に楽になるから、

祖父のひとり暮しはなにかと不安だから、

祖父のもとに居候した。

親もホッとしていた。








毎日不安だった。

80を過ぎている祖父。

部屋とリビングの行き来しかしない。

床屋と病院くらいしか外に出なかった。

衰えていくだけだった。




父や叔母が泊まりに来てくれたことも多々あった。


しかし、基本祖父と2人きり。




朝起きて

学校から、仕事場から帰宅して

祖父が息をしていなかったらどうしよう。



私が家を出て帰宅するまで10時間近くになる。

その間になにかあったら。




119番して、住所と名前と

かかりつけの病院を言うんだ。



毎日シミュレーションしていた。

5年間していた。












祖父が他界した瞬間には

私は旅行をしていたので

いらぬ心配を5年間していたのだけれど。






他界したと知って正直ホッとした。




その1ヵ月前からほぼ寝たきりだった。

朝起きて、帰宅して

部屋を覗く。

寝ている祖父が

呼吸をしているか確認をする。

もうそれをしなくていいんだ。

毎日恐る恐る覗いてたのがもう終わったんだ。









終わったはずなのに。

不安と心配の気持ちが身体から出ていなかった。

どうしたら出るのだろう。

祖父が他界した今でも時々泣いている。

多分これと、もうひとつのことがあるから。

もうひとつ後悔したことがあるから。

泣くだけでは外に出す力としては微量なのだろう。





これを書きながらも涙している。

自分で外に出す方法を見つけなければならないのだが

今、一番手っ取り早い方法が浮かんだ。

試してみよう。